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30年前、中國全土を感動させた「大きな瞳」の少女は今

人民網日本語版2021-09-17 11:00

 大多數の中國人はこの寫真に見覚えがあるだろう。モノクロの寫真の中で、少女は粗末な服を著て、髪は亂れたままで、小さな手に鉛筆を握って機の前に座っている。表情はおずおずとしていながらも、澄んだ純真な大きな瞳がこちらをじっと見つめているようで、何かを強く求める光を放っている。

 1991年、この「學校へ行きたい」と題された寫真が発表されると、たちまち多くの中國人の心を捉えた。その時から、希望プロジェクトは社會全體から広く注目され、寄付が寄せられるようになり、無數の學校に通えない児童たちが再び學校に戻れるようになった。そしてこの寫真に寫っていた當時わずか8歳だった蘇明娟さんは、その後の人生を変えることとなった。

 30年が瞬く間に過ぎた。かつて注目された寫真の小女は、その後どうなり、どんな人生を歩んでいるのだろうか?

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 1983年、蘇明娟さんは安徽省金寨県張灣村のごく普通の農家に生まれた。両親は漁業や作物栽培で生計を立てており、一家の暮らしは苦しかった?!复螭释工螌懻妞椁椁欷慨敃r、蘇さんはまだ1年生で、1學期60-70元の教材費?雑費が家で最大の経済的負擔になっていた。

 蘇さんは當時通っていた張灣小學校について、「教室は天井が低くてボロボロで、窓にガラスを入れるお金もなかった。冬になると、ビニールシートをかぶせると光が入らず暗くなってしまうので、冷たい風がビュービューと教室に吹き込むに任せるしかなかった」と振り返る。寒さのあまり、児童らはよく押しくらまんじゅうをするように一塊になっていたという。

金寨県希望小學校の前身となった彭氏祠堂(資料寫真)

 1991年5月のある日、1年生の蘇さんは熱心に授業を受けていた。蘇さんの知識を渇望するような大きな瞳が、同校を取材していた解海龍記者の視界に飛び込んできた。そして、鉛筆を握った蘇さんが再び顔を上げて黒板を見つめた時、解記者はすばやくシャッターを切った。

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 蘇さんに最初に寄付をした李萬さんは、自身のわずかな手當を貯め、毎學期必ず蘇さんに100元(現在のレートで1元は約17.1元)を送り続け、それは蘇さんが小學を卒業するまで続いた?!钢袑W生時代は、多くの方が私を援助してくれた。お小遣いを送ってきてくれた子供もいたし、授業のない時にやったアルバイト代を送ってきてくれた大學生もいた。天津のある退職したお年寄りは、中學から高校まで、毎年舊暦の年越しをする時に飴などのおやつや生活用品を送ってくれた」。蘇さんは感謝を込めて當時を振り返った。

 その後、蘇さんを援助したいと申し出る人が他にも現れたが、善良でまじめな父親は蘇さんに、「このお金は受け取れない。私たちはもう他の人に援助してもらっているから。私もお前の母さんもまだ働けるし、お前と弟を養うこともできる」と話した。援助を辭退したものの、援助を申し出た人が受け取りを斷ったため、蘇さんはそのお金を全額希望プロジェクトに寄付した。

 2002年9月、蘇さんは安徽大學職業技術學院金融専攻コースに合格。2005年に卒業した後、中國工商銀行安徽省支店に就職した。

 就職後、子供の頃の自分をバックに寫真に納まる蘇明娟さん。

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 無數の心ある人々に助けられ、感化された結果、蘇さんも子供の頃から公益活動をするようになり、今も活動を続けている。

 1997年、中學2年生になったばかりの蘇さんは、自分に寄せられた600元を寧夏回族自治區の回族の少女に自発的に送金し、この少女の學校に行きたいという夢をかなえてあげた。

 2002年に安徽大學に合格後、毎學期定額で支給されていた900元の生活補助を全額他の貧しい學生に渡していた。

 就職した後、蘇さんは初月給を全額希望プロジェクトに寄付。その後も毎月自分の収入の一部を寄付し続けた。また、毎年欠かすことなく、蘇さんは1000元を寄付して貧しい學生たちを支援し続けた。

 2006年、蘇さんと解海龍さんは有名な「大きな瞳の少女」の寫真の版権をオークションに出品。収益金30萬元以上を西蔵(チベット)自治區拉薩(ラサ)市曲水県の希望小學校に寄付した。

 2018年、蘇さんは3萬元の貯金をスタート資金として、「蘇明娟助學基金」を設立し、愛と希望をこれからも伝えていこうとしている。この公益基金はすでに希望小學校2校の創立を支援し、45人の貧しい大學新入生をサポートしている。

 そして現在、蘇さんは幸福な家庭を築き、可愛らしい子供たちの母となっている。(編集AK)

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